「実はいろいろな機会にいろいろな人からいろいろな話を聞いた結果分かったことがある」
「それはなんだい?」
「エンターテイメント、特にアニメは100%人間関係で作られる」
「それは何を意味するんだい?」
「だからね。同人誌にはいくらでも優秀な人がいる。プロより優秀な人がいくらでもいる。でもアニメを制作するスタッフにはならない。なぜか。人間関係の輪の中に入っていないと、仕事を頼まないからだ」
「ふーん。で、君は何を願うんだ?」
「おいらは、複雑な人間関係を上手くやっていく自信なんて無いよ」
「それは、現役で活躍しているアニメのスタッフは、それが可能ってことなのかい?」
「そう思うよ。たとえば小林誠さんね。凄くきさくで相手に合わせるということができるから、仕事を依頼される。しかも結果を出す。少し孤高という感じはあるけれど、行きすぎた孤高ではなく、直接向き合えば接点が必ずある」
「ならば君はどうしたい?」
「八方美人はそれはそれで信用を失う。おいらは、小林誠さんに注目しているだけでオッケーだ」
「ヤマトではなく?」
「そうだ。ヤマトやヤマトに関連する全ての人に対して八方美人になってもあまり意味がない。ヤマトは研究課題ではあるがね」
「でもさ。そんな話をして何になるのだ?」
「アニメは100%人間関係で作られる、という認識で新しい世界が開かれそうだからだ」
「それはなんだい?」
「宇宙戦艦ヤマトも、また100%人間関係で作られている」
「それで?」
「ヤマト1974の時点で、人間関係は上手く機能していたと思う。スタッフ全員が、結果がどう出るか分からない革新的な作品を作るための共犯者なのだ。もちろん、【あいつは嫌い】【評価しない】といった意見を持つ者はいたのだろうが、それは作品を分裂させる致命傷レベルにはなっていない。まあ、富野由悠季さんだけは致命傷レベルの仕事をした可能性があるのだがね。人間関係で致命傷になった可能性があるのは、富野由悠季さんぐらい」
「なるほど。世間の無理解から一緒に耐える共犯者だから、チームの結束があるわけだね」
「会議が多いこともプラスだと思う。会議が多すぎるという苦情はあるにせよ、苦痛でも座っていればいろいろな情報が耳に入って疎外感を感じにくくなる」
「すると、複数の人のデザインを合成したキメラのキャラクターも」
「そうだ。そういう西崎さんの配慮もチームの結束感を高めるのに役立ったはずだ」
「なるほど」
「この結束感は、ヤマト1977の時点まではあったのだろうと推定する」
「俺達の仕事を世界に……という感じだね」
「あれは、日本でも上映したが本来は海外に向けてのセールスだったと思うべきだろう。劇場パンフも英語併記だし」
「それが本題?」
「いや。本題はその先」
「その先とは?」
「さらば宇宙戦艦ヤマトの時点で、この人間関係が崩壊したのではないか」
「それはどうして?」
「さらば宇宙戦艦ヤマトからヤマトを実際に作るのは東映動画になった。分業システムがあって、仕事として右から左に流していく人達が大勢入ってきた。本来の仲間ではないスタッフも増えた。結果として、作業の進行が速くなった。内製していたらこの期間では作れなかっただろうという文章も見たことがある。結果として、いつの間にかどんどん思わぬ方向で作品作りが進行してしまった。それにも関わらず、さらば宇宙戦艦ヤマトの品質は悪くなかった。というよりも、ヤマト1974よりも優れた部分が多々あった、これでは感情がこじれる。完成した後ではなく、製作中から人間関係は悪化していただろう。実際に、ヤマトと言う作品に深く関わって貢献したはずの松本零士や安彦良和らから、さらば宇宙戦艦ヤマトに関して辛辣で否定的な文言が出ている」
「西崎さんが悪いのではないの?」
「西崎さんはむしろ防波堤となって悪役に徹した可能性もある。別の誰かの意向であろうと、西崎さんの口から発せられればそれは西崎さんの言葉だ。それによって、致命傷レベルの人間関係崩壊を抑止できた可能性がある。結果として、完結編までヤマトを作り続けることはできたのだ。致命傷は抑止できたのだろう」
「では、東映動画の参加はヤマトにとってプラス? マイナス?」
「結局それも人間関係の問題に還元されて、同じ目標を共有できる信頼できるスタッフが結集するか否かで話が大きく変わる」
「東映動画はあくまで集団であり、その中の誰がやるかで話が変わるわけだね」
「そうだ。たとえば、ヤマトよ永遠には構成がおかしい。いちばん格好いい戦闘シーンは金田伊功の中間補給基地攻撃だが、本来そういうシーンはまずクライマックスに持ってくるはず。あるいは、序盤の掴みに持ってくる。配置がおかしい。でも、それはできなかったと思うべきだろう。結果として、中間補給基地攻撃だけが浮いた感じになってしまった」
「それも人間関係の問題に還元できるわけだね」
「だから、あそこは映画的に意味が無いから切ってもよいが、切れないわけだ」
「では、そこから何が読み取れる?」
「だからさ。さらば宇宙戦艦ヤマトの頃から急速に白けていく人達が、プロにもファンにもいた。しかし、そこからヤマトという作品に関わっていくプロもファンもいた。しかし、求心力は低下してしまう。本来ヤマトを支えていた人達の熱意が下がっているわけだからね」
「求心力の低下は、人間関係の希薄化、悪化なのだね」
「そこから出てくる作品が良いわけはない」
「でも、改善の試みはあったはずだろう?」
「そうだ。松本零士の感性を全面的に取り入れたヤマトよ永遠にもそのためのチャレンジと言えるし、人気低下への危機感が逆に結束を促したヤマトIIIのような試みもあるのだろうが、いずれも成功したとは言いがたい。ファンとの間に入った人間関係の亀裂までは修復できない」
「それはどういうことだい?」
「だからさ。加害者と被害者を比較すると、加害者が忘れても被害者は覚えていることが多い。加害者の言葉はいつも美しいとフジアキコ物語のウルトラマンも言っている。加害者は【ちゃんと謝っただろう】【いつまで謝ればいいんだよ】と思っているが、被害者の方は【態度に反省が無い。ちゃんと謝れ】といつまでも思っている。そんな感じだよ」
「なめられて、見ることすらされないヤマトIIIが何を描こうと、もはや効力を発揮しないわけだね」
オマケ §
「この場合の人間関係にはファンも含まれるわけ?」
「無償で協力するコアファン層も、実質的に外郭スタッフの一部にカウントできる。完全にスタッフの人間関係の内側にいるよ」
「つまり、ポスターあげるから宣伝してね、とファンクラブ相手に映画のポスターを送る行為も人間関係のうちなんだね」
「そうだ。好意があればポスターを貼ってもらうことができて、目立つ」
「なるほど。そこまで人間関係の影響が及ぶわけだね」
オマケ2 §
「そういう意味で、ヤマトクルーでポスターセットを配った追憶の航海、方舟もそのような意味で、コアファン層が外郭スタッフ扱いされた事例だろう。基本的に僅かな費用負担ではあるが、好意によってそれは肯定される。そういう意味で、良好な人間関係そのものがそれを可能にしたと言って良い。それは復活篇、SBヤマト、ヤマト2199の実績が可能にしたことだろう」
「それは良かったね」
「良くない。実は方舟は人間関係に石を投げる行為だった。石が当たっていない人は、方舟いいですね、好きです……と言ってはばからない人もいるがね。当たっちゃった人は痛いから好意が冷え込んでいるかもしれないよ」
「人間関係にヒビが入ったわけだね」
「それは作品の出来とは関係ない部分で発生する問題だからしょうがない」
「人間関係って難しい!」
「その通りだ。とても難しい」
オマケIII §
「とても難しいが、やはり最大の問題は西崎松本間にあった裁判だろう。感情のもつれは大問題だが、それでも何が原因で変化するか分からない。しかし裁判になってしまうと、話は別の世界に行ってしまう」
「分かった。全員一致でドメルは死刑だね?」
「それは裁判が違う」